古窯跡とは
藩窯公園内では、お経石窯跡と清原窯跡の2ケ所が発掘調査されています。
清原窯跡では、窯床と出土した陶片をシェルターで覆い、自然のまま見ることが出来ます。
鍋島藩御用窯の細工人、柴田善兵衛が元禄7年、この地に建てた祖先の供養碑(大乗妙典碑)を地元ではお経石と呼び、この窯跡の名称の由来にもなっています。
窯跡は13の窯室からなる連房式の登り窯で、やきものの歴史を知る貴重な古窯跡です。その規模は中ほどの窯室で幅が5.5m、奥行が4.6m、と大きなもので胴木間(火を焚くところ)から窯尻(窯の最上位)まで水平距離で約47m、傾斜角10度から12度で登り中ほどのところでゆるく曲がっています。
窯跡や周辺からは窯道具のほか、陶磁器片がたくさん出土しました。磁器の9割近くは染付網目文の碗でそのほか香炉、花立てなどがあり、陶器では御器手様の黄唐津の碗(京焼風)が出土しています。
この窯が使用された時期は、鍋島藩が御用窯を開いた江戸時代の延宝年間(1673〜1680年)前後で、商品性の高い陶器を作っていたことが出土した陶品の刻名から推測することができます。