秘窯の里 大川内山の歴史

年代出来事
1600年頃伊万里各地で古唐津系の陶器が焼かれていた。
1675年鍋島藩御用窯が有田南川良から大川内山に移される。
1693年二代藩主鍋島光茂公は藩窯に対し品質の向上と技術の漏洩防止など自ら熱心に指示する。
1670年頃御細工人31人体制となる。
(細工方11人、画工9人、捻細工4人、下働き7人)
1761年 有田皿山代官とは別に大川内皿山代官が置かれる。
1871年廃藩置県により藩窯御細工屋解散する。
1877年精巧社を設立し鍋島焼の復興を図る。
1984年鍋島藩窯公園が開園する。
1993年大川内山景観整備事業完成する。
1995年日本観光協会より「優秀観光地づくり賞」を受賞する。
1996年伊万里鍋島焼会館落成する
2003年大川内鍋島藩窯跡が国の史跡指定を受ける。

江戸時代の色鍋島

大川内山藩窯絵図染付大皿

伊万里焼の歴史

古伊万里

江戸時代、肥前地区で焼かれた焼物(磁器)は、伊万里の港から積み出され、国内はもちろん、遠くヨーロッパまでも運ばれたので、伊万里が焼物の代名詞となり、これらの焼物の総称が「古伊万里」と呼ばれています。現在では、とくに赤絵に金を施した物を「古伊万里様式」と呼んでいます。

鍋島

日本で最初に磁器を完成させた鍋島藩は、より高い品質と技法の維持に努め 「藩窯」 を組織し、1675年には有田から大川内山に藩窯を移して、その技法が他に漏れないようにしました。この藩窯では大名や将軍家、朝廷に献上するための高級位な焼物を、明治4年まで焼き続けました。この焼物が鍋島を呼ばれています。

現在の伊万里焼

鍋島藩窯のあった大川内山では、明治4年の藩窯解散以後、藩窯で培われた高度な技法を守り、受け継いできました。現在でも、鍋島の技法はもちろん、新たな技術も取り入れた多くの窯元が大川内山にあり、伊万里焼の中心となっています。伊万里焼は鍋島等の様式美を受け継いだ物から、現代の生活感覚にマッチした焼物まで、多くの種類があります。

伊万里焼の特徴

色鍋島

白磁の肌に染付で文様を描き、本焼きをした後、赤・黄・緑を基調にした上絵を施して、再度焼き上げます。陶磁器の最高峰として、その美しさを誇っています。

鍋島染付

透明感のある白磁に、藍一色の染付を施します。この染付に使う呉須の色が特徴で、凛とした美しさが醸しだされています。

鍋島青磁

大川内山から産出する青磁原石を用い、何度も青磁釉をかけては焼き、艶やかで神秘的な、独特の色合いがかもしだされます。

唐津焼

唐津焼(陶器)の流れを受けた焼物も作られています。この地方は、磁器が焼かれる以前は、古唐津の窯場が数多くあり、焼物の技術が培われていた歴史的な背景があります。

鍋島が見れる代表的な美術館

■栗田美術館(足利本館)
住所: 栃木県足利市駒場町1542   

電話番号: 0284-91-1026

■栗田美術館
住所: 東京都中央区日本橋浜町2-17-9

電話番号: 03-3666-6246

■戸栗美術館
住所: 東京都渋谷区松涛1-11-3

電話番号: 03-3465-0070

■佐賀県立九州陶磁文化館
住所: 佐賀県西松浦郡有田町中部乙3100-1

電話番号: 0955-43-3681

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